撮影:金川真吾
【プロフィール】
2015年3月 学習院大学人文科学研究科アーカイブズ学専攻博士前期課程修了(アーカイブズ学修士)
2021年3月 学習院大学人文科学研究科アーカイブズ学専攻博士後期課程単位取得退学
2017~2021年 慶應義塾大学社会学研究科 研究員(非常勤)
2021年~ 東京大学人文社会系研究科 死生学・応用倫理センター 特任研究員
【主な論文】
「明治期における会社法と会社の記録管理について」『学習院大学人文科学論集』第29号、2020年
「小峰資料群(王子脳病院・小峰病院・小峰研究所)の概要とその資料編成について」『精神医学史研究』vol.23 no.1、2019年
「企業資料における経営者関係資料を読み解く―資生堂企業資料館「福原信三」資料の分析とISAD(G)記述の適用から」『GCAS report:学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報』第6号、2017年ほか
【資格・認証】
2016年4月 日本アーカイブズ学会 登録アーキビスト
2022年1月 国立公文書館 認証アーキビスト
1.アーカイブズ学との出会いと経歴について
–歴史資料の保存や文書館、アーカイブズ学に関心をもったきっかけをお聞かせください。
以前、企業の文化施設で運営・学芸業務に携わっていました。日々、社内外からの問い合わせを受けるのですが、社内からは社史記述に関する事実関係やその証明となる記録の照会が多く、学芸員の自分にとってそのようなリクエストに対応することが非常に困難でした。博物館学では対応できない、記録の整理や検索はどういった学問分野になるのか自分なりに調べたところ、「史料管理学」や「アーカイブズ学」に突き当たりました。そこから大学院に進学し、アーカイブズに関する研究に本格的に入っていくことになりました。
–これまでのお仕事の内容をご紹介ください。
先ほども触れたように、アーカイブズ関連の仕事の出発点は企業ミュージアム(2006年から2012年まで在職)での経験です。博士前期課程修了後の2015~2016年には食品関連企業のアーカイブズ目録作成や、アニメ制作会社のアーカイブズのマニュアルを作成するプロジェクトに携わりました。2017年より大学の研究チームの一員として医療アーカイブズの整理、分析に関わり現在に至ります。
2.自身の研究について
–企業アーカイブズの特徴とはなんでしょうか。
一つは資料の多様さです。前職の企業では製造業ということもあり、収蔵資料の大部分が製品資料、ポスターなどといったモノ資料でした。また、アニメ制作資料のプロジェクトの際にアニメーションの制作過程を教えていただきましたが、制作にかかる工程の多さと複雑さ、発生資料や制作物の多さ、媒体の多様さは気が遠くなるほどです。このように企業アーカイブズにはさまざまなモノ資料が含まれることが多く、それが企業アーカイブズの魅力や豊かさなのだと思います。企業活動の成果物ともいえる貴重な製品資料や制作資料の保存やコントロールのためにもコンテクストを重視し、記述するアーカイブズ管理は欠かせないもので、それによって資料群の内部構造や関係性を立体的に把握することができるのだと思います。
もう一つは資料の残り方、残し方を含めてその企業の性格や特徴が色濃く表れる点です。これはプライベートセクションの特徴とも言えますが、創業者の意思決定の過程、その組織特有の会議体、製造物の変化、時代の空気と会社のメッセージを込めた宣伝媒体など、それぞれがユニークなもので、その組織の独自性がにじみ出るところに魅力を感じます。
3.医学史研究チームの一員として
–お仕事では医療アーカイブズの整理、分析に関わっていますが、具体的にどのような役割ですか。
私が参加している科研の研究課題が「20世紀日本の医療・社会・記録-医療アーカイブズから立ち上がる近代的患者像の探求」であり、これまで一般的とされてきた医療提供側からの歴史のみならず、患者を主体とした経験も含めた医療史の再構築を目指しています。そのために、歴史学、社会学、そして私も含むアーカイブズ学といったそれぞれの専門領域を持つメンバーが精神医療、感染症・公衆衛生、医療アーカイブズに着目し研究を推進しています。研究目的の達成にはアーカイブズ、特に個々の症例誌の分析が非常に重要になってきます。ただし、このような医療アーカイブズは特に日本においては残存状況も含めて全体像が明らかではなく、閲覧利用には程遠い現状があります。この状況を打開する一つの試みとして、私が現在かかわっている(財)小峰研究所(注1)収蔵の資料群の編成記述(注2)を行うこと、この作業を通して明らかになる作成組織のコンテクスト情報も含めて研究現場へ還元し、かつレファレンスに応えていくことが私の主な役割です。
注1)一般財団法人小峰研究所(1924~)は、戦前期に活動していた王子脳病院(1901~1945)、小峰病院(1925~1945)のアーカイブズを持ち、現在でも精神科クリニックを運営している。
小峰研究所ウェブサイト https://komine-labo.info/
注2)詳しくはこちらを参照。「小峰資料群(王子脳病院・小峰病院・小峰研究所)の概要とその資料編成について」『精神医学史研究』vol.23 no.1、2019年。
–研究チームにおけるアーキビストとしてやりがいや、逆に難しい点などありますか。
それぞれの専門を持つ担当者が、違う視点で対象物を掘り下げていく作業がチームワークの醍醐味だと感じています。そして、研究目的からすれば当然といえばそうなのですが、アーカイブズ学やアーキビストという仕事に十分に理解が得られている環境にとても仕事のしやすさを感じています。その理由としてメンバーが、そもそもアーカイブズに関わりのある方だったり、海外での調査研究を通してアーキビストの仕事を具体的に理解してもらえていることなどが大きいと思います。
一方で、対象物の調査に関してはかなり手間がかかります。紙の劣化や変色が進む戦前の手書き文書なので取り扱い注意の上、読解も時間がかかります。かつカルテのような日独混用文書もあります。病院資料は企業と同じく組織アーカイブズではありますが、法的根拠や業務内容が大きく違います。戦前期の当該組織の活動期間中にも法改正や健康保険制度導入など、制度背景も大きく揺れ動きます。慎重な調査をもとに資料群を分析し、位置づけることが必要になってきます。
4. 印象的なエピソードがあれば教えてください
今関わっている病院記録についてのエピソードを2つ紹介します。
一つは私が担当するようになってまもなくの出来事です。昭和10年頃に入院されていた方のご遺族からの症例誌の閲覧希望があり、それは理事長も了承した件だったのですが、いかんせん当該資料が見つからない。膨大な入院症例誌(少なくとも2,000件以上)が残されているうえ、資料整理が全く追いついていなかったのです。私も着任したばかりで何がどこにあるか手探りだったのですが、資料群のまとまりを見ながら推測し、無事に発見することができました。そして理事長を介してご遺族の方に見ていただくことができ、ホッとしたことがあります。このことにより、適切な編成記述の必要性を痛感しました。そして、70年以上前に廃院となった病院の症例誌ですが、死亡退院患者の遺族にとっては家族の最期の様子を知る唯一の記録でもあるわけです。そうした記録を保管する責任の重みも同時に感じました。
二つ目は、精神疾患をテーマにアート作品を制作する飯山由貴さんに資料を提供したことです。診療記録として管理されていた資料が芸術作品の中に組み込まれていき、違った表情を持つ瞬間を見ることができました。資料の使われ方の多様性とでもいいましょうか、作品を通して資料が何かを訴えかけてくるような力強さが印象的でした。(写真)
飯山由貴「hidden names」online ver.
国際交流基金オンライン展覧会「11 Stories on Distanced Relationships: Contemporary Art from Japan(距離をめぐる11の物語:日本の現代美術)」(2021年3月30日~5月5日)出品作品
飯山由貴プロフィール:https://waitingroom.jp/artists/yuki-iiyama/
5.今後の抱負
企業アーカイブズ、医療アーカイブズいずれも最終的に待ち受ける大きな課題は公開に関することだと思っています。企業は一定のルールに沿って内部的に資料が残されていることが一般的と思われますが、私組織ということもあり、一次資料は非公開というのが半ば常識のままここまで来ています。また組織内に長年にわたる貴重な過去記録が残されていても、人手不足や公開へのモチベーションの低さから活用されにくいという状況もあるでしょう。それでも新しい動きは見られます。最近では、産業にまつわる貴重な資料を保存する動きが活発になっています。科学史学会の認定する「化学遺産認定」や産業技術史資料センターが調査した「産業技術史資料」のなかから国立科学博物館が選定した「重要産業技術史資料」(注3)は製造物だけではなく、実験・研究ノート等の記録物も含まれます。このように外部からの評価が加わることで会社記録が安易に廃棄される、ということを回避できるかもしれません。ただし、部分的な記録のみが対象とされるため、資料群全体のコンテクスト情報を保持するための仕組みは別に確保されるのが最善と思いますが。
もう一つ、注目した事例は、株式会社キリン・ホールディングス収蔵の「ジャパン・ブルワリー重役会議事録」(1885~1904年)のpdf全文公開(注4)です。
現在のキリンの前組織の資料ですし、時の経過から公開に伴うリスクも下がります。また、資料のpdfをそのままウェブサイトに掲載する作業は現場にとってもそれほど手間のかかることではありません。逆にこのような一次資料が公開されることによって、外部から新たな研究成果を得るきっかけにもなりえます。
これらの事例のように、企業の持つ記録に対して外部の光が当たりつつあります。
海外では、それぞれの企業や医療機関が独自にアーカイブズを持っていたり、大学や公的なアーカイブズに寄贈するなどして、資料公開の窓口が存在します。日本においても、そのようなプラットフォームに企業記録や医療記録が託される選択肢が一般的になるとよいと思います。適正な公開基準で閲覧に応じる体制が整備され、寄贈元からの信頼を得ることができれば大きく前進するのではないでしょうか。ここはアーカイブズ、アーキビストの大きな腕の見せ所となってくると思いますし、自分の仕事がこの課題の克服に少しでも寄与することができればうれしいですね。
注3)産業技術史資料情報センター「重要産業技術史資料」 https://sts.kahaku.go.jp/material/
注4)株式会社キリン・ホールディングス「ジャパン・ブルワリー重役会議事録」 https://museum.kirinholdings.com/jbc/j1.html
清水ふさ子さん、ご協力ありがとうございました。
2022年6月 清水ふさ子さんによる修正加筆
担当 大木 悠佑