【プロフィール】
- 1972年3月 埼玉大学教養学部日本文化コースを卒業
- 1972年4月 国立国会図書館に入館
- 2009年3月 国会図書館を定年退職
- 2009年4月 学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻前期博士課程入学
- 2011年3月 同専攻前期博士課程修了
- 2011年4月 同専攻後期博士課程入学
- 2020年3月 同専攻後期博士課程を単位取得退学し、研究生として現在に至る
保有資格
・日本アーカイブズ学会登録アーキビスト(2014年4月1日登録、2019年4月1日更新)
・国立公文書館認証アーキビスト (令和2年度)
1.アーキビストの仕事に関心をもったきっかけについてお聞きします。これまで取り組んできたお仕事の内容についてご紹介ください。
1972年4月、国立国会図書館職員となりました。国立国会図書館職員は、国会職員といって、特別職の国家公務員です。国立国会図書館で独自の採用試験を行っており、採用された職員は、各部局に配属されます。私が最初に配属されたのは総務部人事課庶務係というところでした。庶務係は文書事務を扱いましたので、ここで、文書の受理や発送、合議(あいぎ)、決裁、などの役所の文書行政の基礎の基礎を学ぶことができました。
3年後に参考書誌部索引課に異動し、学術雑誌を中心に選択した雑誌について掲載論文を各記事単位に論題や著者等のデータを採録して分野別に掲載する、月刊の索引誌を編集する業務を担当しました。当時は、ほかに雑誌論文を総合的に検索するツールはありませんでした。人文社会編担当と科学技術編担当があり、私は人文系に配置されて主に歴史分野の雑誌を担当していました。
10年という少々長すぎる期間をここで過ごし、政治資料課憲政資料室に異動しました。憲政資料室は、私の大学時代の恩師、文部省史料館(当時)の鎌田永吉先生がその存在を教えて下さり、私が国会図書館に就職しようと志した元々の存在で、ここで初めてアーカイブズに関する仕事をすることになりました。日常的には、未整理の文書を文書袋に入れ表題を書き、書架に並べ、といった作業を延々としながら閲覧室の当番に立ちます。収集業務については、室の方針のもと、各担当者が責任を持って所蔵者と連絡を取って収集を行っていました。私の担当は、高橋是清関係文書の調査でしたが、北海道伊達市在住であった高橋是清の御子孫のもとに伺い、資料を御寄贈いただきました。なお、高橋の文書は散在しており、この時収集したものは、その一部をなすものです。
3年余りの後、調査及び立法考査局法令議会資料課(後に議会官庁資料課)に異動し、主に『太政官布告等の沿革索引』編纂業務に従事しました。館が、明治百年を機に、審議会を設け、明治近代国家成立後に発出された全ての法令の沿革を辿ろう、とした事業です。
国会図書館所蔵資料のほか、国立公文書館や最高裁判所図書館所蔵資料を中心に太政官布告等の調査・採録に当り、改廃経過の調査・作成に当りました。この間の調査については、「明治初年法令資料目録」(『参考書誌研究』第54号(2001・3))に纏めました。
図書館生活後半の大半をこの太政官布告等沿革索引編纂業務を行って過ごしましたが、同時に、法令議会資料室での閲覧業務に立つことで、各国の法令議会資料の整理と検索の諸相を学んで、日本に無い議会文書館の必要性を感じるところとなりました。
太政官布告等以来の廃止失効法令の沿革索引も現在ではデータベース化されて、「法令全書」等の全文テキスト化された資料とリンクされて提供されています。また、当時若い同僚と作成した、法案提出から委員会審議、本会議審議、と審議過程を追って、順次国会会議録を読めるように、国会会議録全文とリンクさせたデータベースも提供されています。
2.国立国会図書館にお勤めの時代から国内外で行われるアーカイブズに関わる様々な活動に参加された経験について具体的に聞かせてください。
先ほど述べましたとおり、念願の憲政資料室に配属されましたが、伝統的な資料整理をする内、学問としての文書学、資料整理「学」があるはずだと思うようになり、海外の状況を知りたくなりました。文部省史料館の原島陽一先生から、安澤秀一先生の勉強会の存在を教えていただき参加したのが、アーカイブズに関わる活動に参加した最初だと思います。当時は、安澤先生、安藤、大藤、山田、広瀬(現青木)、水野、水口の各氏中心に、シェレンバーグの『近代のアーカイブズ』(原題 Modern Archives)を輪読していました。また、この勉強会で、ICA(国際文書館評議会)の世界大会の存在を教えられ、1988年のパリ大会に初めて参加し、初めて世界の公文書館を見る機会を得ました。パリ大会や北京大会では、安藤先生と共にICAの部会であるSection for Education and Training(SAE)に参加する機会があり、マイケル・クック(Michael Cook)やアン・サーストン(Anne Thurston)、エリック・ケテラール(Eric Ketelaar)、テオ・トマセン(Theo Thomassen)などアーキビスト教育を主導する人々を知ることが出来ました。
パリ大会の翌年、1989年12月、リバプールでブリティッシュ・カウンシルが主催したアーカイブズ学のショートコースに参加し、各国のアーキビスト達と一緒にマイケル・クックの元でアーカイブズ学を受講しました。ごく短期間、僅か2週間のショートコースでしたが、その後、アーカイブズを考えるときに、その時の経験で腑に落ちることが度々ありました。マイケル・クックは、アーカイブズ学のイメージが掴めていなかった私にそのイメージを与えてくれました。
パリ大会の後も、カナダのモントリオール大会、中国の北京大会、スペインのセビリア大会、オーストリアのウィーン大会、マレーシアのクアラルンプール大会などに出席し、また、そのほかにも安藤先生やパリ大会で同宿した小川千代子さんと、ドイツ、米国、デンマーク、ノルウェイ、オーストラリア等の文書館を見学いたしました。
国内の活動としては、1992年、民事判決原本の破棄の問題が持ち上がり、太政官布告等沿革索引の作成をご指導下さっていた早稲田大学の浅古弘先生と共に保存活動に参加しました。
3.定年退職の後、大学院に進学されていますが、本格的にアーカイブズ学を学ぼうとしたきっかけがありましたか。
2008年に学習院大学大学院にアーカイブズ学専攻ができる、ということを聞きました。
それまで日本の大学教育にアーカイブズ学がなかったため、体系的に学ぶことが出来ずに歯痒い思いでいたので、迷いなく、直ぐ入学したいと思いました。しかし、定年1年前だったので、残念ながら初年度は見送り、2009年4月、第二回生として入学しました。
このように、私の大学院入学の第一の目的は、アーカイブズ学を体系的に学びたい、ということでした。そうして、第二の目的は、国会資料をアーカイブズとして保存されるようにしたい、ということでした。修士論文「大日本帝国議会資料の保存についての基礎的な考察」では、帝国議会でどのような記録を作成し、残そうとしたのか、また、そのために、どのような事務局組織や文書規定を作ったのか、帝国議会資料として国立国会図書館に収蔵されている議会資料がどのように整理されて残されているかなどを調べて、纏めました。
前期課程修了後、帝国議会資料だけでなく、今後も継続的に生み出される国会資料全体をアーカイブズとしてどのように構築するべきか、ということを研究課題としたいと考えて博士後期課程に進学しました。しかし、この時期、両親ともに高齢化し、父の介護から母の介護へと間断なく続いたため、研究テーマを深く考察する余力もないまま時間が過ぎ、博士後期課程の年限の6年が尽きてしまいそうになりました。慌てて半年を残して休学しましたが、やはり3カ年休学したのち、単位取得退学しました。
私が在学した時代以後、以前に増したデジタル化の進展により、アーカイブズを取り巻く状況は激しく変化し、アーカイブズ学も変容して行っていると感じています。常に新しい知識を補充しなければならないと思い、現在は再度研究生として学んでいます。
4.大学院に在籍中には、アーカイブズ資料整理のボランティア活動にも活発に参加されてきましたが、そこで学んだことや、楽しかったことなどについて聞かせてください。
大学院在籍中は、先生方が手掛けられる各地の調査の一員として参加していました。現地調査は、大学時代、鎌田永吉先生のもとで房総の自由民権資料の収集を行ったのが初めてですが、大学院では、大月市の花咲本陣資料、島根県の飯南町資料、沖縄伊江島の阿波根昌鴻資料の整理などに参加しました。あまり多くはありませんが、収集・整理の手順について段階を追って学ぶことが出来ました。大量の資料を目前にすると、頭がワーッとなってしまうものですが、棚ごとに付番をしたり、付番した現状を写真に撮ったりしてから、順次箱詰めして棚番号を付して並べて見ると、何だか整理出来る気がしてくるのが不思議です。
ほかには、国会図書館退職後すぐの2009年から、ジュネーブの国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)のアーカイブズで、毎年2週間程度、5-6人でチームを組んで、ボランティアで資料の整理をしています(活動詳細は、小川 千代子, 大西 愛, 秋田 通子, 松村 光希子「憧れを体験に:UNHCR記録管理&アーカイブ課での資料整理ボランティア」『レコード・マネジメント』第60巻(2011)参照)。ICA大会に参加するようになってから、各大会主催国が行うアーカイブズ関連施設の見学中心に諸外国の公文書館等を見学する機会が増えましたが、実際にどのように業務を行っているかは分かりませんでした。小川さんと、働いてみれば分かるんじゃない、仕事辞めたらどこか海外で働きたいわね、と話をしていましたが、小川さんの友人、スペインのモンセラート・カネラ・ガラヨア(Montserrat Canela Garayoa)氏がUNHCRのアーカイブズ課長になった時に、小川さんを通してボランティア活動することの快諾を得て、小川さん、大西さん、秋田さんと共に、2009年8月、夏休みの2週間ということで活動を始めました。
UNHCRでの活動は、既にある仮目録の年代等のチェックとアーカイブズボックスへの入れ替えが中心です。そして、作業期間中に1、2カ所ジュネーブ所在機関のアーカイブズの見学をアレンジしてもらい、訪問して、そこのアーキビスト達と意見交換しています。
10年に及ぶボランティア活動の中で思い出深いのは、最初に任された文書群です。UNHCRの香港事務所が撤退するときに、その事務所資料を、前々課長だったトルディ・ピーターソン(Trudy Peterson)氏が収集したものです。トルディが急いで書いたであろう、「事務所のどこどこの棚の上にあり」と言ったような記述の付された概要目録と、船で送り出した際のリスト、そして事務室の棚一杯に積まれたボロボロの段ボールの山と、ばらばらのファイルの山。数日間は整理方針が定まりませんでした。私はその時点で父の容態が悪いと日本に呼び戻されましたので、途方に暮れた状態でジュネーブを離れたのです。しかし、その後の数年の努力で、現在は無事文書ボックスに収まり、データベース上で検索ができます。
この活動は、メンバーが変わりながら「海外アーカイブ・ボランティアの会」として、株式会社カネカの支援も受け、2019年まで続きましたが、コロナ禍の影響でこの3年間は中止されました。2023年からは再開する予定です。
5.日本アーカイブズ学会登録アーキビスト資格と国立公文書館認証アーキビスト資格を保有されていますが、資格取得のために習得した知識や経験について教えてください。また、これらの資格がご自身にとってどのような意味がありますか。
私がアーキビスト資格を取得できたのは、実習を含め、大学院での必要単位を全て取得したほか、憲政資料室での実務経験と目録作成、また太政官布告等の沿革索引編纂の過程で作成した論文等の実績が必要要件を満たしていると認定されたからです。申請上困ったこともありました。国会図書館職員の身分で行った目録作成については、目録に作成者名も記されません。自分がこの目録を作った、ということの証明がないのです。
これらの資格の私にとっての意味ですが、学会登録資格や国立公文書館認証資格を持っている、ということが、私がアーキビストであることを社会的に保証してくれるものと考えています。この二つの資格が、どのような役割分担をするようになっていくのかは、資格取得要件も現在のところ両者ほぼ同じですので、私にはまだよく分かりません。
6.最後になりますが、アーカイブズ学の研究者として、アーキビストとして、これからアーキビストを目指される方、アーカイブズ(学)に関心をもっている方へメッセージをお願いします。
振り返ってみますと、アーカイブズは私にとって、「知る」ということに不可欠のものだと思って、長くやって参りました。国立公文書館の開館は、1971年7月1日で、私が国会図書館に入館する8ヶ月程前のことでした。それから、かなりの時間が経ち、劇的進歩といえる情報公開法、公文書管理法の成立も見ましたが、国のアーカイブズ機能はまだ不十分な状態で、国民の「知る」権利に十分答えられていないと感じます。昨年秋には、地裁や家裁での「特別保存」の対象となるべき事件記録の破棄が問題となりました。
「このようなことを知りたいのだが」と言われたときに、それを調べるのに適した資料が何であって、どこで、どのように調べられるかを伝えられるのが、職業としての国会図書館職員の面白さでした。アーキビストにも同様の面白さがあると思われます。そして、いかなる人も平等に情報アクセスが可能であるようにすることが重要だと思っています。
記録資料は、まず、その必要性から記録を作成した人や集団自身の利用に供され、一つの役目を終えますが、作成者以外にとっても社会的に利用価値や利用の必要が出てくるものです。桜吹雪の遠山の金さんが言う「これにて一件落着」した記録資料は、これをアーカイブズとして組織化しておくことによって、作成者にも作成者以外の現代及び後代の人にも利用可能な資源としておかなくてはならない、と考えております。いずれ、アーカイブズに関する知識も各分野で常識となる時代が来るのではないでしょうか。アーカイブズの基本知識を持った人が行政や企業、その他の社会のなかにいることが大事だと思っております。
【コメント】 松村さんはこれまで本担当が出会ったアーキビストの中でも最も精力的でアーカイブズ自体を楽しんでいる方の一人です。古い書物のみならず、日々新しい技術と戦うアーカイブズ学の新しい潮流を追っかけている方です。これからアーキビストを目指す皆さんに貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
インタビューは2023年1月〜3月まで、松村光希子さんとメールとオンラインミーティングにより実施しました。
担当 元(ウォン)ナミ